今、迫りくる目の前の災害は誰も助けてくれない!?

 

今年も沢山の災害が頻繁に発生し、明日は我が身かも。と思うのは私だけでしょうか。

異常気象による洪水や土砂崩れなどの災害発生時には、国や地方自治体は我々の危機から守ってくれません。各々の身は自分自身で守るしかない。

 

ご存じの通り国や地方自治体が出す避難情報はあくまで情報の提供だけで、実際は「自らの命は自らが守る」意識を持ち、自らの判断で避難行動をとるとの方針が示され通り自己判断するしかないのです。

 

今年の5月より避難指示に関するレベルが変更となり、警戒レベル4で「全員避難」となっています。ところが今年7月の熱海市土砂災害では自治体からの避難指示は出ていなかった。発生後に警戒レベル5を発令。また、今月発生した岡谷市土砂災害の発生時も、自治体からは「高齢者等避難」(警戒レベル3)を発令していたが、「避難指示」(警戒レベル4)に切り替えたのは土砂災害後だった。記者会見した市長は「雨の状況を考えながら避難してくださいというアナウンスをした。適切だったかどうかは検証していかなければならない。重く受け止めている。」と述べています。

改めて、日本全国で災害によってお亡くなりなってしまった方々が沢山おられます。こころからご冥福をお祈り申し上げます。

 

自治体からの避難指示を待ってから行動していては身を守ることができないが実情。毎年大雨による災害は日本全国で起こっています。いつどんな時に自分の住んでいる地域に災害が起きるかわかりません。

 

私の住んでいる長野県は山間部に位置するため「土砂災害警戒区域」が27,048か所もあります。実際、我家も自治体が発表しているハザードマップ土砂災害警戒区域の中に建っています。家を建てた25年前には、まだ土砂災害ハザードマップは作成されていませんでした。

 

昔から住んでいる者にしてみれば、自治体から「お宅の家は危険な場所にあるので注意してください。」と言われてもどうしようも出来ない。また素直に「分かりましたすぐに引越しします。」と災害リスクのない安全な土地へ移住する事もできません。

 

 内閣府より「避難情報に関するガイドライン」が発表されています。概要は次のように書かれています。(このガイドラインは132ページに亘ります)

住民は「自らの命は自らが守る」意識を持ち、自らの判断で避難行動をとるとの方針が示され、この方針に沿って自治体や気象庁等から発表される防災情報を用いて住民がとるべき行動を直感的に理解しやすくなるよう、5段階の警戒レベルを明記して防災情報が提供されることとなっています。

 自治体から警戒レベル4避難指示や警戒レベル3高齢者等避難が発令された際には速やかに避難行動をとってください。一方で、多くの場合、防災気象情報は自治体が発令する避難指示等よりも先に発表されます。このため、危険な場所からの避難が必要とされる警戒レベル4や高齢者等の避難が必要とされる警戒レベル3に相当する防災気象情報が発表された際には、避難指示等が発令されていなくてもキキクル(危険度分布)や河川の水位情報等を用いて自ら避難の判断をしてください。

 避難にあたっては、あらかじめ指定された避難場所へ向かうことにこだわらず、川や崖から少しでも離れた、近くの頑丈な建物の上層階に避難するなど、自らの判断でその時点で最善の安全確保行動をとることが重要です。

 

…と、各自で判断して自分の命は自分で守ってくださいと示されています。

危険な場所に家があるのであれば、日ごろから危険個所、避難場所の確認を行い、非常持出し袋等の準備をしっかり行い。災害発生時には、どの様に避難判断する?

 

 ・TVのニュース、気象情報やスマホSNSで判断?

 ・気象庁HP「キキクル」で判断?

 ・自分自身の五感を研ぎ澄ませて危険を察知?

どれが正しい判断かは分かりませんが、最終的な避難は自分自身で判断するしかない。

 

 

一方で、「人は情報だけでは動かない」と言う研究論文もあります。

「なぜ人は情報だけでは動かないのか?」

 避難指示などはなぜ伝わりにくいのか。関西大社会安全学部の元吉忠寛教授(災害心理学)の答えは「人間は情報に基づいて行動することが苦手だから」と明快に述べています。「情報で住民の『リスク認知』を高めようとしても、避難を促せない可能性がある。」

教授によると、人類は目の前にある危険を経験しながら進化してきたため、直接的な危険には感情的に反応できる。「だが災害では、直接的な危険を目の当たりにした段階で避難を始めては遅い。避難にも危険が伴う。」

 そこで教授が呼びかけるのが「計画避難」だ。安全で快適な避難場所を事前に決めておき、危なくなる前にそこへ行くことを、ルール化しておくと事が大切。

と書かれていいます。

 

確かに今回の大雨時には、我が町でも気象庁発令の「警戒レベル4相当」の土砂災害警戒情報が発令されましたが、私は何の根拠もなくこの位の雨なら大丈夫だろうと高を括っていました。こんな土砂災害警報が何度と繰り返されると半信半疑になるだけで、避難に対する警戒意識がますます薄まっていきました。災害が起きなければそれで良かったのでしょうが、仮に大きな災害に遇ってしまえばきっと後悔するのでしょう。

 

今一度、自分自身の危機管理に対する考え方を改めなければいけないのでしょうね。

 

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雲の切れ間から久々に見える青空

 

G A F Aが大嫌い!

はてなブログ今週のお題「あなたにとってのインターネットとは?」より

私にとってインターネットと言えば「GAFA」ですね。皆さんご存知だと思いますが、改めて表記させて頂きます。

 

G=Google

A=Amazon

F=Facebook

A=Apple

 

今やこれがないと仕事、情報収集、コミュニケーションや買物などができないと思います。でも、私は「G A F A」が大嫌いです!

 

なぜならば、現状世の中が全て「G A F A」中心で動いていて、世の中がこのインターネットの世界に振り回され一喜一憂しているのがとても怖い。しかし、これがなければ生きて行けないのが現状だからです。

 

思い起こせば「G A F A」に始めて出会ったのは“Apple”でした。

1995年長野に引越し、これからの時代はパソコンが必須だと思い、転職と引越しを機に個人用のパソコンを購入。

 

そのパソコンは、アップルコンピューターのMacintosh Performa 630。スペックは、CPUクロック33Mhz、メモリー8MB、HDD 250MBと今では信じられないチープなスペック。

インターネットは、電話回線を使ったアナログモデムで通信料が確か1分10円と、今考えると非常に高価なものでした。

近くの書店で「初めてのインターネット」的な書籍を購入し、ニフティサーブでプロバイダー契約しインターネットデビュー。

 

日本のインターネット黎明期で、普及率も一桁程度、今のような豊富なコンテンツもなく、簡単な調べ物、ワープロとメールぐらいの利用だったと思います。

 

その後、インターネットはISDNADSLと技術革新が進み通信速度が速くなり、通信料も安くなり、それに伴いパソコンも進化。

2000年頃にパソコンはPower Mac G3、2003年頃にPower Mac G4と買換え。Mac OSも進化し標準ブラウザのサファリの検索エンジンに“Google”が採用され、それまで活用していたYahooからシフト。この頃から、インターネット情報が多くなり、分からないことは「ググって」情報収集するようになりました。

 

当時のインターネット界ではWeb2.0と言われ始め、情報収集だけであったユーザーが、情報発信側にシフトして行くと言われていました。確かに現在は、個人によるSNSYouTubeなどの動画配信が当たり前の時代になっています。

 

2007年、娘が大学進学時に欲しい参考書が地元の書店にないので“Amazon”で買って欲しいと言われ、始めてAmazonを利用。今では当たり前ですが、当時の私にとってはインターネットで買物をすることに抵抗感があり、不安と緊張を抱きながら個人情報の入力をしたことを覚えています。

 

2008年ソフトバンクが日本初AppleiPhoneを発売。私も欲しかったのですが、キャリアがauであった為、乗り換えをしてまで手に入れようとしませんでした。

 

2010年auからAndroidスマホが発売。ついにガラケイを卒業してスマホデビュー!

期待して買ったもの3G回線では動作速度は遅く、スマホはすぐにフリースし非常に使い勝手の悪いものでした。しかし携帯でインターネットの世界に入れることが大変魅力的なディバイスでした。スマホデビューとともにGoogleアカウントを取得してそれまで使っていたniftyメールからGmailにシフトしたのもこの頃だと思います。

 

2011年、ついにauでもiPhone4S発売の発表。すぐさま予約し機種変更、念願のiPhoneを入手!これによりMaciPhoneiCloudで同期できる利便性に感激。インターネット回線も光となりWi-Fi環境でもサクサク動くiPhoneに感動したことを覚えています。この年「G A F A」最後の“Facebook”デビューも果たし、まんまとアメリカI T企業の奴隷と化したわけです。

 

現状、インターネットの利用はパソコンからスマホでの利用率が上昇。ますます「G A F A」がなければ情報収集・買物・仕事やコミュニケーション等ができなくなり、ひと時も離せないモノとなっています。私自身iCloudに40GB、Googleには3GB程度と各SNSに個人データーを保持していますが、セキュリティやプライバシーに関しては常に不安を抱いています。なければ困るのですが、世の中がこのインターネットの世界に振り回され一喜一憂しているのが、とても怖いと思います。

 

インターネットが普及していなかった25年以上前は、クチコミ、雑誌、新聞やT V等の媒体からの自分の行動範囲内で必要な情報だけを収集して暮らしていた時代。今やボーダレスで、地球上どこに居ても良い情報や、間違った情報が瞬時に獲られる情報過多の時代。

 

誰でもが、スマホ片手にインターネットの世界で簡単にメディア発信者として稼ぐこともできる。一人の呟きが国を動かし、企業の栄枯盛衰を左右してしまう恐ろしいモノ。このインターネットを制す者が世界を制す。確かに便利だが客観的に見ると恐ろしい世界。私には必要不可欠なモノですが、得体の知れない不気味なインターネット世界はますます進化するのでしょう。

そんな世界にいつまで対応し続けることが出来るかがとても心配な私です。

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コロナが終息したら南の島へ。

 

「暑かったあの夏の日本武道館」

はてなブログ今週のお題「記憶に残っている、あの日」から

 

東京オリンピック柔道で、阿部兄妹の同日金メダル獲得をテレビ観て思い出した事があります。それは35年前の「暑かったあの夏の日本武道館」の出来事です。

今思い出しても辛いことしか記憶にないので大嫌いです。

 

なぜならば、この記憶は自分自身が武道大会などで関わった事でなく、あるエンターテインメントの新米裏方スタッフとして関わった、日本武道館での2週間で経験した辛い思い出しかないからです。

 

そのエンターテイメントは、日本武道館で初めて、いや日本初で木製フロアの屋内競技アリーナにアイスリンクを作ってアイスショーを開催することになり、当時の日本で話題の公演でした。

 

20代半ばの私は、この公演の一員として参加。この公演はアメリカのエンターテインメント会社が制作し、世界的人気のキャラクターを起用したアイスショーアメリカ国内でも人気作品でした。この公演を日本へ初めて招聘し、開催に漕ぎ着けた興行主も大変苦労したそうです。

 

設営初日、アメリカスタッフと共にアメリカから運搬された機材を日本武道館に搬入。事前に日本側スタッフは施設側と入念な打ち合わせを施し、準備万端でアイスリンクの設営に臨みました。

 

ところが、十分に事前打ち合わせされていたにも関わらず、アメリカスタッフと日本スタッフの双方から設営方法に関する食違いが発生、しばし協議のため作業が中断することもありました。

 

日本側はアリーナの床の上にアイスリンクを設営する為、床が氷点下20度くらいまで冷やされるので保護(養生)をすることが前提で、アイスリンクの設営が許可されていました。しかし、アメリカ側かあらすると、日本側の細かすぎる作業工程や過剰な養生作業など理解出来ないことだったのです。

 

トラブルが発生するたびに双方の公演関係者のトップが通訳を介して協議。当然、その間は現場スタッフの作業は中断。深夜作業と言うこともありお互いに険悪な雰囲気へ。そして、無駄に時間だけが過ぎていきました。

 

当時の日本武道館のコンサート系の搬入設営は24時間単位でスケジュールが組まれていました。我々の搬入当日は、21時に終了した前のコンサート撤去が終わってからの、26時から搬入開始でした。そこからアイスパネル搬入で8時間、製氷作業で48時間、ショーセット設営で8時間とリハーサル4時間。そして3日後の18時は開幕と緻密なスケジュールが組まれていました。

 

設営準備の3日間は、いくつかのトラブルを乗り越え無事に幕は開けることができました。今思い出しても、小さなトラブルは覚えていません。当時の感覚としては蒸し暑く、痒く(夏の日本武道館は蚊が多いのです)、空腹と睡魔に襲われ、自分自身の語学力の無さにイライラしながら、トラブル対応に追われていた辛い思い出しかありません。

 

その後10年ほどこの公演スタッフの一員として関わりましたが、年を重ねるたびにお互いの経験値も上がり、スムーズな搬入設営ができるようになりトラブルも少なくなりました。また、自分自身も裏方の中でも地位が上がり、色々な人々と仕事することが出来スキルも上がりました。今では素晴らしい経験の機会を与えて下さった当時の会社や上司、関係者に大変感謝しています。

 

そんな日本武道館の思い出は、テレビの中継画像を見ると携わったスタッフの顔、アイスリンク機材、武道館の搬入リフト、そして天井に掲げられた日本国旗などの風景が走馬灯のように甦ります。これは、普通の方々では想像つかない変な感覚だと思います。

 

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家族で賑わう近所のキャンプ場

 

 

金は天下の回り物!?

今週のお題「回ったり」から一言。

 

私にとって回るものと言えばお金ですね。「金は天下の回りもの」と言うことわざがありますが、私は嘘だと思っています。

なぜならば、自分自身の所に回ってこないからです。

 

辞書によれば、「金銭は一つ所にとどまっているものではなく、今持っている者もいつか失ったり、今ない者もいつか手に入れたりする。金は天下の回り持ち。」と書いてあります。

 

また「お金は寂しがりやで、金持ちのところに集まる」とも言われます。持っている人は、必死に貯めたから持っている。持っていない人は、貯まる前に使ってしまう。だから貯まらない。

 

お金は確かに回っている。「回りもの」と聞いて、お金が自然と自分の元へ回ってくるもの、と勘違いしている人がほとんどではないでしょうか。

 

お金を回す=浪費する事ではない。自分のために有効な投資をする事が、本来のお金の回し方なのでしょうね。

 

「回ってくるのを待つのではなく、回すんだ!」

お金は、もともと回すもの、循環させるもの。その証拠に、お金のことを通貨(流通貨幣)とも呼びます。通貨(お金)は流通(回し)してこそ価値を発揮する。

じゃあ、自分のところに戻ってくるようにするには?どうやって回すの?

 

それは、お金を使う目的が、自己中心的な使い方ではダメ。

お金を回すには、見返りのない愛情に基づくものであることが前提だと言われています。

 

見返りなしに、人や世の中の「役に立ちたい」、お世話になった方に「感謝を示したい」と、自分以外の誰かに、「純粋な想い=愛情」に基づいて使ったお金の回し方は、必ず戻って来るのではないかと思います。

 

私自身、これを実践できていないのでお金が回って来ないのでしょうね・・・(汗)

 

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猛暑の中、私の為に風を回してくれる健気なサーキューレーター

 

 

「住めば都」

はてなブログ今週のお題「住みたい場所、教えてください」から一言。

「住めば都」と言いますが、何も考えなければピンポイントで「沖縄 石垣島 川平」に住みたいです。

なぜならば、寒くないからですね。

石垣島川平は大学生時代に初めて行き、その美しさに感動しました。その後、家族で2回行きましたが本当にいい場所です。移住できたら、当然仕事はせずにのんびりと暮らす。まぁ、そんなことしたら早くボケてしまそうですが…(笑)

静岡で生まれ育った私は、大学生時代から約15年間名古屋に住み、そして信州に移り住み25年が過ぎました。

信州は妻の実家の近くであり、自然豊かで、野菜や果物が新鮮で安く買え、人との繋がりが暖かい所で大変に気に入っています。

ただし、冬の寒さが大嫌いです。信州に引っ越しした1月は当然に寒い時期。その年は特に寒さが厳しく、連日朝の最低気温が氷点下15度! 築30年の借家住まいで、起床すると台所にあった洗い桶の水が凍結していた事を今でも鮮明に覚えています。

そんなこともあり、当時まだ珍しかった高機密住宅でセントラルヒーティング付きの暖かい家を建て、翌年の冬は本当に暖かくて幸せでした。

その頃の名古屋市の人口が200万人。そして長野県の人口が200万人と聞いたときに、「そりゃ自然が豊かなわけだ」と感心したことも覚えています。反対に都会の便利さや、街の賑わいなどがなく寂しく感じたこともありました。

ときには、南の島や大都会にも憧れますが、住んでしまえば暮らしやすく居心地の良い信州「住めば都」です。 

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  我が家の紫陽花

 

Windows10 HomeをProにアップグレードしたらなぜかEnterprise!?

今週の大事件です。

今まで使っていたPCの動きが遅くなってきたので、新しいPCを購入し仕事で使うアプリのインストール作業をコツコツとしていました。購入したPCがWindows10 Homeのままでは一部のアプリが使えないので、Windows10 Proへアップグレードへ。

クレジットカードを片手に「Microsoft Store」で購入手続きをしてダウンロードボタンをポッチとクリック。インストールが終わり再起動、それからいくつかのプログラムアップグレードをして最新の状態へ。

さて、これで終わりかと思いWinsowsのエディションを確認すると、なんとWindows Proを購入したはずなのになぜかWindows Enterpriseに?

しかも「ライセンス承認されてません」の警告が・・・!?

慌てて、トラブルシューティングを実行、しかし何度実行しても解決できません!エラーコードをGoogleで調べてもそれらしき対策が出てきません。時間ばかりが過ぎ、気が付けば夜中の1時を回っているので、この日はあきらめて寝ることにしました。

 

翌日、改めてPCを立ち上げると今度は今まで見たことのない「Test Mode」なる文字が画面の中央に出ているではないですか!

慌てて「Test Mode」の解除を調べるが何をしても解除できず...無駄な時間ばかり過ぎ、仕事も手につかず右往左往するばかり。

夕方、仕事が一段落したので、PCを購入したサポートセンターへ電話し事情説明したところ、「Windowsのアップグレードに関する問題は、Microsoftへお問い合わせ下さい。」と言われ愕然。確かにWindowsのアップグレードして起きた問題なので冷静に考えれば当たり前である。

気を取り直してMicrosoftサポートへ電話。今回の様な事例はMicrosoft側でも認識しているようでした。

オペレータの説明によれば「デフォルトキーを入力すれば解決します。」との説明を受け電話越しに読み上げられた25文字のプロダクトキーを入力。すると簡単に問題解決!

この2日間、無駄な時間を使ってしまいました。落ち着いて考えれば10分ほどで解決できた事でした。深夜に眠たい目を擦りながらパソコンのアップグレードをやろうとしたが愚かなことでした。皆様もこのような事が無いようにご注意ください。

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 ※慌ていたので途中のエラーメッセージの画像はありません。

「ウッドショック」木材が消えた?

今年の関東甲信越の梅雨入りは例年よりも1週間遅く、ここ10年で一番遅い梅雨入りになったようですね。

 

我が家の庭の芝は、例年よりも発育が遅く所々茶色で見た目がよくありません…

逆にサツキの花が例年になく沢山咲いているのは嬉しいことです。

 

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           ※写真はディズニーシーの花壇です

 

さて、住宅業界では「ウッドショック」なる問題でにわかに騒がしい状況になっています。この背景には、住宅ローン金利の低下やコロナの影響によりテレワークの浸透により、アメリカの住宅需要が拡大したことによるようです。また海上コンテナ不足や貨物船の減便が重なり、国内の木材供給網が停滞し需要のひっ迫に拍車をかけたようです。

 

日本の住宅建設に必要な木材のほとんどが輸入に頼っていたため。世界的に木材市場では高値で取引が続いている状況です。これにより大手住宅メーカーや中小工務店が危機感を募らせているようです。

 

それなら、国産材を使えばいいじゃないかと思いますよね。ところが、そう簡単にはいかないようです。

 

国内林業全体としては、高度成長期の住宅需要に合わせ1964年の木材輸入の自由化がスタートし、このころより減産体制にありました。また、日本の山は急峻で木材も切り出すにはかなりのコストがかかり、安価な輸入材との価格競争に負けたのも原因の一つだと言われています。

 

衰退した日本の林業補助金頼みで成り立っている状況にありました。急に需要が増えても補助金が出なければ、いくら山から木を伐りだしても儲からない訳です。これが国産材の供給量を増やせない理由のひとつです。

 

これにより新築住宅の価格高騰は必至?

これから住宅購入を考えている方からすれば、住宅購入価格が上がることは頭の痛い問題です。では、実際どのくらいの影響が出るのか。一般的な木造住宅の建築費2,000万円に対して木材が占める割合は1割ほどの200万円です。この木材が2割高騰したとしても40万円です。小さな金額ではありませんが総建設費の2%です。

 

しかしながら、木材だけでなく建材や住宅設備も値上がりし始めていますので、建設費全体が高くなるのは避けられないと思います。

 

今後は新築住宅の需要が減少を懸念する一方で、中古住宅を買う選択肢は当然増えてくると考えられます。こんな状況で新築にするか中古にするか迷っている方は、1981年6月以降の耐震基準(いわゆる新耐震基準)を満たす品質の高い中古住宅を購入対象にと考えるのも良いと思います。