「暑かったあの夏の日本武道館」

はてなブログ今週のお題「記憶に残っている、あの日」から

 

東京オリンピック柔道で、阿部兄妹の同日金メダル獲得をテレビ観て思い出した事があります。それは35年前の「暑かったあの夏の日本武道館」の出来事です。

今思い出しても辛いことしか記憶にないので大嫌いです。

 

なぜならば、この記憶は自分自身が武道大会などで関わった事でなく、あるエンターテインメントの新米裏方スタッフとして関わった、日本武道館での2週間で経験した辛い思い出しかないからです。

 

そのエンターテイメントは、日本武道館で初めて、いや日本初で木製フロアの屋内競技アリーナにアイスリンクを作ってアイスショーを開催することになり、当時の日本で話題の公演でした。

 

20代半ばの私は、この公演の一員として参加。この公演はアメリカのエンターテインメント会社が制作し、世界的人気のキャラクターを起用したアイスショーアメリカ国内でも人気作品でした。この公演を日本へ初めて招聘し、開催に漕ぎ着けた興行主も大変苦労したそうです。

 

設営初日、アメリカスタッフと共にアメリカから運搬された機材を日本武道館に搬入。事前に日本側スタッフは施設側と入念な打ち合わせを施し、準備万端でアイスリンクの設営に臨みました。

 

ところが、十分に事前打ち合わせされていたにも関わらず、アメリカスタッフと日本スタッフの双方から設営方法に関する食違いが発生、しばし協議のため作業が中断することもありました。

 

日本側はアリーナの床の上にアイスリンクを設営する為、床が氷点下20度くらいまで冷やされるので保護(養生)をすることが前提で、アイスリンクの設営が許可されていました。しかし、アメリカ側かあらすると、日本側の細かすぎる作業工程や過剰な養生作業など理解出来ないことだったのです。

 

トラブルが発生するたびに双方の公演関係者のトップが通訳を介して協議。当然、その間は現場スタッフの作業は中断。深夜作業と言うこともありお互いに険悪な雰囲気へ。そして、無駄に時間だけが過ぎていきました。

 

当時の日本武道館のコンサート系の搬入設営は24時間単位でスケジュールが組まれていました。我々の搬入当日は、21時に終了した前のコンサート撤去が終わってからの、26時から搬入開始でした。そこからアイスパネル搬入で8時間、製氷作業で48時間、ショーセット設営で8時間とリハーサル4時間。そして3日後の18時は開幕と緻密なスケジュールが組まれていました。

 

設営準備の3日間は、いくつかのトラブルを乗り越え無事に幕は開けることができました。今思い出しても、小さなトラブルは覚えていません。当時の感覚としては蒸し暑く、痒く(夏の日本武道館は蚊が多いのです)、空腹と睡魔に襲われ、自分自身の語学力の無さにイライラしながら、トラブル対応に追われていた辛い思い出しかありません。

 

その後10年ほどこの公演スタッフの一員として関わりましたが、年を重ねるたびにお互いの経験値も上がり、スムーズな搬入設営ができるようになりトラブルも少なくなりました。また、自分自身も裏方の中でも地位が上がり、色々な人々と仕事することが出来スキルも上がりました。今では素晴らしい経験の機会を与えて下さった当時の会社や上司、関係者に大変感謝しています。

 

そんな日本武道館の思い出は、テレビの中継画像を見ると携わったスタッフの顔、アイスリンク機材、武道館の搬入リフト、そして天井に掲げられた日本国旗などの風景が走馬灯のように甦ります。これは、普通の方々では想像つかない変な感覚だと思います。

 

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